子供の頃、ドラえもんが大好きでしたね。映画も良く見ましたし、
テレビも見ましたし、単行本は今でも持っています。小学館だけでなく、中央公論社版も集めていましたね。こちらには結構、未収録作品が含まれていたのです。当時、小学館が主催した、ドラえもんビデオクラブなるファンクラブがありまして、季刊発行の会報がもらえました。一回だけ、私が書いた絵が載ったのですが、それは滅茶苦茶嬉しかったですね。昭和61年の秋号です。もし、それをお持ちの方がいれば、私の本名がきっとわかりますよ(笑)。私のPNは本名と連動していますからね。
さて、昔の本などを久々に引っ張り出していたところ、当時のドラえもん映画の特集ムックが数冊、当時の映画のチラシ、コロコロコミックの切り抜きなども見つかりましたが、その中に、「ドラえもん終了騒動」の記事が発見されました。懐かしいですね。
新聞の日付を見ると、昭和61年11月13日(木)の読売新聞夕刊でした。このブログを読んでいる方の中には、ドラえもんが好きな方もいるでしょうし、まだ生まれていないとか、物心ついていないとか、そんな人もいるでしょう。ちょうど良いブログネタと言うことで、ちょっと書いてみようかと思います。
記事によれば、「噂の出所は不明」。当時はメールも
インターネットも無い時代です。
全国規模に広がったことが不思議ですよね。「一ヶ月ほど前から」、と言うことは昭和61年の10月頃から、編集部あてに「終了は本当かどうか」の問い合わせ電話がかかってくるようになったとのことです。「多いときには二十件」にのぼりました。
結末のパターンは、「のび太が交通事故で植物状態になり、記憶が戻ってみると、ドラえもんのことは全て、その間の夢ストーリーだった」というものです。私の小学校内でも同様の噂が流れていましたね。結局、編集部では「コロコロコミック1月号に噂を否定する記事を載せる」ことになりました。
作者の藤子先生(当時はまだコンビでした。でも、藤本先生のコメントですが)の話では、「半月ぐらい前、三人の娘から、学校で聞いたけれど本当に終わるのか、と言うので驚いた」と語っています。「そんな不幸な終わり方はしない。これからも一生懸命描きます」と締めくくられていました。結局、この噂の出所は迷宮入りのようです。
情報網が発達していない時代、全国規模で広がるとは……。現代ならばメールやネットで広がりますけれどね。これは不思議な事件でした。
因みに、その切り抜きの裏側はテレビ欄で、一部、わかる部分がありました。当時、オバケのQ太郎が平日、テレビ朝日で18:45から放送しているのがわかりましたね。テレビ
東京は今と違って、どっかのテレビ局で放送された、「お古」のアニメを良く放送していました。「黄金バット」、「ベルばら」、「釣りキチ三平」の番組名が載っていましたよ。
ラジオ欄も一部残っており、そこでは現在TOKYO FMがFM東京だったり。20年近く経つと変わりますね。そう言えばドラえもんは私が幼稚園だった時代(25年以上前か……)は平日18:50から10分間(実質6分程度だと思うけれど)の放送でしたっけ。
最後にオマケとして。広告用としてわざわざ特別に書き下ろしたドラえもんの切り抜きも発見されました。これはさすがに、単行本未収録でしょうね。正確な日付はありませんが、記憶では終了騒動の記事の後で、翌年の3月までの間であるはずです。
ソニーのハンディビデオの広告で、こんなビデオを作ってくださいと言う、藤子先生からの要望ふうの作品でした。
8ミリ
テープ(すげ〜!)を入れて普通に撮影します。それに葉書シールを貼り、そのままお便りとして誰かに送ります(マンガではどっか
旅行しているのび太をドラえもんがそれで撮影し、他の三人に送る内容)。それを受け取った側がまた撮影し、送り返すというものです。
ビデオカメラの再生ボタンを押すと、テレビに電波が飛び、受信されて画面に映し出される仕組みになっていました。
さて20年近く経った今。デジタルビデオカメラとなり、DVDによる撮影が可能ですね。テレビに飛ばす機能はありませんが、ビデオカメラそのものにモニターがついています。
藤子先生自体、亡くなる前まで広告にドラえもんを使用することはあまり無かったように思います。ですから、これがどういう経緯で実現したのか、今となってはわかりません。
他にもまだ、色々なむか〜しのムックとかあるので、いつか、記事にまとめてみたいと思います。
ニックネーム 篩"Jim_a_e"獅師 at 10:31|
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